【取材ノート:名古屋】名古屋グランパス四季折々:「小野雅史」と書いて「持っている男」と読む。10ヵ月の“準備期間”を終え、背番号41が名古屋に新風を吹き込む

小野雅史とは有言実行の人なのだと思う。昨年5月26日の明治安田J1リーグ16節、京都とのホームゲームで利き足の左ひざ前十字靭帯を断裂。長期離脱となってからの歩みは辛く厳しいものだった半面、復帰への段取りはこの上なく順調に消化されていった。一般にこの負傷からのプレー復帰は8~10ヵ月が通例で、それだけの長期間をプレーしていないというブランクを考えれば復活まで1年間は猶予を見る必要がある。実際にも小野は沖縄でのキャンプ中に「いま7ヵ月でキャンプ終わりで8ヵ月。そこから2ヵ月ぐらいで合流してコンディションを上げていければ」と語っていた。そしてちょうどケガから丸10ヵ月の3月29日の横浜FC戦で背番号41はピッチに復帰。ちょっと鳥肌が立つぐらいにピタリと、彼は戦線復帰を果たしたのだった。
急ピッチではあった。復帰戦の20日前、3月9日に彼は大学生との練習試合で負傷後初の実戦に臨んだのだが、その時も実はトレーニング中の紅白戦を経ずしてのいきなりのゲーム形式だった。それもキャンプ後に一度軽い肉離れをしてしまい、その治療とリハビリをギリギリで間に合わせての出場。「今季の立ち上げから今日の練習試合に出場できたらと思ってやってきた」と、“3月9日”をひとつの記念日とするために調整を間に合わせた。もともとボランチの選手でサイドバックになったのは山形への移籍後からということで、この時はまだ身体への負担を考慮してボランチとしてのプレーであり、その後も練習中はボランチで起用されてきたが、横浜FC戦に向けたトレーニングの中で長谷川健太監督は小野を左ウイングバックに配置。「もしかしてあるのかも」と小野も頭を切り替え、「それまでは自分のコンディションを上げるためのプレーをしていたけど、今週は特にチームのことを考えながらプレーした」とより現実的に復帰をイメージしながらその時に備えた。
3月29日もまた、小野にとって忘れられない日になっただろう。ウォーミングアップの終盤でサポーターからの手厚いコールを聞いて、まずはそれをじっくりと聞いてから深々と頭を下げた。「ちょっと真っ白になったんですけど、ほんとに帰ってきたんだなっていう実感が、あそこで湧きました」。サッカー選手にとっては時に致命的にもなり得る種類の負傷だけに、ケガをしてからの彼には多くのサポートが寄せられてきた。チームメイトたちからの激励やチャリティーオークションの開催、現役時代に膝の負傷を経験している長谷川監督からは「病院ならいくらでも紹介できるよ」と声を掛けられたことも。リハビリ期間にはチームのメディカルスタッフたちと二人三脚の日々を送り、もともと筋肉質だった身体はさらにバルクアップ。今年の沖縄では「ちょっと筋トレ止めてます」というほどのマッチョなフィジカルを手にして、小野はその時を迎えていた。本当に多くのサポートをその身体に、その左ひざに注ぎ込んで、彼は豊田スタジアムのピッチに10ヵ月ぶりに立ったのだ。

アディショナルタイム6分を合わせればおよそ28分間の出場時間は決して長くはなかったが、紅白戦ではない対外試合としての28分は中央大との練習試合での26分間を少しだけ上回り、J1の相手ということを思えば負荷はその倍にも感じられたに違いない。左のワイドポジションに立った小野はそこでボールを受け、背後へのスプリントを繰り返し、積極的にボールと相手が嫌がるエリアに自らを置いてプレーした。「膝のことはもう一切忘れていたけど、まだまだコンディションの部分では動いていない」と実感しつつも、「自分が思っていたよりできた」と思える部分もあり、10ヵ月が“準備期間”だと言わんばかりに活き活きと走っていたのは印象的だった。キャンプでもギラギラした目つきで紅白戦を見つめ、「イメージではスタメン奪いに行ってますからね」と微笑。この日も「出るつもりで準備していたので変にあがったりもなかった」と冷静だった小野は、この28分間をただただ笑顔で、純粋に楽しかったという表情で振り返る。
「1年間。いや10ヵ月ですね。準備をずっと、試合に出た時のイメージをずっとしていたので良かったです。まずは自分のプレーをやろうっていう意味で、味方とのつながりを持ったり、関係性を持ってプレーしようと。今日で言ったら前線の選手の(森島)司だったり、(永井)謙佑くんであったり、その特徴を生かせるように心がけたというか、意識はしてました。プラスアルファ、やっぱりゴールに向かっていった方が絶対に相手は怖いっていうのは間違いないですし、今の現状でチームが勝てていないのは、やっぱりちょっと、守りに入る意識もそう、失点したくないとか、ボールをもしかしたら受けたくないとか、そういうものが無意識に出ちゃう状況もあると思うので。自分は逆にそういうところではまだ試合に負けてもいないし、勝ってもいなかったんですけど、自分が新しいものをピッチに出せればなと思ってやっていました」
もうひとつ、この試合の隠れたエピソードとして、中山克広との交代で出場したというのも知る人ぞ知る感動ポイントだった。小野と中山は同い年で、名古屋への移籍でも同期ということもあって普段から仲が良く、昨季の小野の負傷後には「今年は小野のために戦う」という想いが中山にあった。中山自身はあまりそのことを公に発信することはなかったが、たとえばルヴァンカップ優勝後のセレモニーの中で、優勝記念のメダルを小野にかけてあげるなどの心温まる行動もあったという。偶然か必然か、10ヵ月前に負傷した小野と交代でピッチに出たのが中山であり、今回の小野の出場は中山との交代だった。「交代の時、カツは『おかえり』って言ってくれました」と小野はにっこりと笑い、大切な同期との関係性を同期ならではの口調で語る。
「カツは自分がケガした時からずっと隣りにいてくれましたし、同い年でずっと大学の時からも知っているので、特別な思いもありました。いつも気を遣ってくれて、ルヴァンの時にメダルをかけてくれたり、司と一緒に『41』って、ケガした時も今日もやってくれた。嬉しいですよね。でも去年はカツが活躍したら嬉しかったけど、その反面、自分もやっぱり置いていかれている感じもあった。次は一緒にピッチに立って勝利を一緒に喜べたらなと思うんです。あんまりウイングバックとして去年は組んでないんですけどね。ちなみにカツは去年、あんまりスタメン出場の時の勝率が良くないみたいなことがあったんですけど(笑)、今日はカツがスタメンで勝って、僕も勝てた。それもすごく良かったなと思います」
良いことは重なるもので、横浜FCに2-1で勝ったこの試合は、2025年の名古屋グランパスのリーグ戦初勝利でもあった。約1年ぶりの復帰戦がそのようなタイミングであったことについて小野に水を向けると、「正直めちゃくちゃ持ってますよね」といたずらっぽく笑う。「正直、今日の試合で自分は全然何もしてないですけど、勝てたのは本当に良かった。去年も初スタメンの試合で勝ったりと、いろいろと地味に自分は“持っている”かなと思いますね」。開幕6戦未勝利、その最中で左ウイングバックの徳元悠平と山中亮輔が揃って試合に出られる状態になかったというのはチームにとっては苦境でも、小野にとってはある種の幸運であったことは間違いない。その試合で長期離脱から復帰し、勝利の瞬間にも立ち会えた。これは全員でつかみ取った価値ある1勝だが、小野が運んできた“グッドラック”もあったように思えてならない。過度な期待は禁物だが、ここから背番号41がチームのラッキーボーイになっていくような予感も、どこか漂ったのは間違いなかった。

「あれだけのグランパスの“ファミリー”の皆さんが自分を待っていてくれたのはすごく伝わって。去年あんまり試合には絡めてないですけど、今日はリーグ戦も勝ててない中でもあれだけの応援に来てくれて、なおかつ自分に対してもあれだけのコールをしてくれた。ほんとありがたい存在だし、ファミリーの皆さんがなくては自分たちの今日の勝利はなかった。ほんとにファミリーが一丸となって勝った試合かなと思います」
改めて小野はチームを支え、鼓舞してくれる存在への感謝を言葉に表す。同時にここからの自分の戦いにも視線を移し、気合と覚悟を締め直す。「今日出られたからといって次の保証はないし、もっともっとコンディションは上げないといけない。自分の本調子じゃなければ使われないと思うので、こうして監督が起用してくれたのは自分にとって大きかった分、しっかり応えていきたい」。試合中に余計なケガをすることもなく、しっかり試合後の取材対応に立てたことも大きな自信を彼に与える。30分に満たない出場時間でも、大きな、大きな一歩が踏み出せた。その実感をたっぷりと込めて、小野は大きく息を吐く。
「いやあ、ほんとに。ようやくスタートラインに立てたっていうか」
フットボールはひとりで勝てるものではないが、ひとりの活躍や存在がチームに良い風を吹かせることはよくあることだ。そこに現れた“持っている男”小野雅史は、名古屋の反転攻勢の象徴的存在になれるかもしれない。
Reported by 今井雄一朗