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【取材ノート:藤枝】台風10号ニモ負ケズ。クラブの英断と裏方の奮闘で勝利をつかんだ“熊本遠征道中記”

2024年9月6日(金)
明治安田J2第29節・熊本戦の勝利は、須藤大輔監督が「勝点3以上のものが得られた」と語った通り、藤枝MYFCにとって大きな歴史の1ページとなる1勝だった。

迷走台風10号の影響で熊本に辿り着けるかどうかも不透明な中、試合3日前の木曜日(8/29)に出発し、熊本を通り越して鹿児島で2日間練習したうえで臨んだアウェイゲーム。万全のコンディションで入るのは難しい中、熊本に主導権を握られて非常に苦しい展開になったが、選手たちの集中力が途切れることはなく、逆に相手の一瞬の隙を突いて先制。遠征メンバー中で最年長の久富良輔の2得点に絡む大活躍もあって2-1で勝ち切り、心身両面のタフさを示した。


ただ今回は、その試合内容を振り返るのではなく、それ以上にドラマチックだった熊本遠征の移動過程や裏方たちの奮闘を「道中記」という形で紹介したい。

速く的確な英断で、奇跡的に台風をかわして

今回の大型台風10号は、専門家にとっても進路や速度の予測が非常に難しく、過去に例がないような特殊な経路を辿った。そのため交通機関がいつ、どこで止まるかも予想できない状況。いつも通り試合前日に出発すれば、静岡を出る交通手段がなくなってしまう恐れがあった。

そのため日曜夜(9/1)の試合に向けて、当初は2日前の金曜日(8/30)の出発を計画し、熊本が無理なら岡山で練習することなども検討して、宿泊先や練習グラウンドの確保に動いていた。だが、新幹線の計画運休や航空便の欠航の可能性が高まったため、水曜日の午後の時点で急きょ木曜出発で鹿児島に向かうプランに変更した。

そして木曜日の練習時間を早めて10時半に練習場を出発し、昼の新幹線で福岡を目指した。だが「あと2本ぐらい後に出発してたら福岡までも行けなかった。ギリギリでした」と須藤大輔監督が振り返った通り、午後は東海道新幹線が豪雨の影響で止まり、広島に向かっていたFC東京は静岡で足止めを食らってしまった。1時間でも早く出発するという決断がなければ、いきなり計画が大きく狂ってしまう可能性もあった。

ただ、初めは木曜日中に鹿児島まで移動する予定だったが、福岡から鹿児島への移動が困難になったため、移動中に急きょ福岡で1泊することに変更。ここでもフロントスタッフの早い判断と手配が光った。そして金曜の朝にバスで鹿児島に向けて出発したが、途中で高速道路が通行止めになっていたため下道を通ることに。そのため通常は3時間半程度で着くところが1時間ほど余計に時間がかかったが、何とか昼前には到着。

鹿児島では冬のキャンプで利用しているホテルと練習グラウンドを確保し、午後から練習を行なうことができた。木曜のうちに台風は通過していたので暴風雨に見舞われることはなく、むしろ台風一過で非常に蒸し暑い天気となったが、「九州の暑さを体感できたし、ここで調整ではなくしっかりと負荷を上げられたのは大きかった」と須藤監督は言う。

そして金曜日は午前中に鹿児島で練習して、午後に熊本へバス移動。熊本で1泊して試合に臨み、試合後にも1泊して月曜(9/2)の午前に飛行機で中部国際空港に飛び、そこからバスでクラブハウスまで帰り着いたのは、14時を過ぎていた。そこからゆっくり休む暇もなく、翌日の火曜日から栃木戦に向けての練習が再開している。

藤枝の限られた運営予算を考えれば、鹿児島でのミニキャンプを含む3日前出発はかなりの英断だった。だが、的確な早い決断を重ねたからこそ、もっとも効率良く台風の影響をかわすことができた。熊本を通り越して鹿児島に向かったからこそ、雨風も止んで慣れ親しんだキャンプ地で充実した練習を行なうことができた。
「フロントが本当に良い判断で臨機応変に旅程を組んでくれたおかげで、運も引き寄せることができたと感じています。おかげで最悪の条件の中でも良い準備ができて、試合でも勝負の流れがこちらに来ていました」と須藤監督は感謝の想いを口にする。

ミニキャンプを支えたマネージャーの頑張り

そんな激動の道中だったため、当然準備をする裏方には大きな負担がかかった。中でもとくに身を削って働いたのが、主務(マネージャー)の青山真也だ。

用具の準備や運搬、遠征先の各種手配を担当する彼は、火曜日(8/27)の時点から金曜に移動した場合に備えて現地のグラウンドの手配等で慌ただしく各所に連絡をとっていた。だが出発が木曜に変更されたため、水曜の夜に2日間の練習用も含む大量の用具やウェアを副務の和田伊吹と共に大急ぎで準備。木曜日の14時頃に普段以上に荷物を満載したトラックで静岡を出発した。

今回はクラブが外部のドライバーを手配してくれて運転はかなり任せることができたが、金曜の練習に間に合うように鹿児島まで着かねばならないため長時間の休憩はとれず、運転を交代しながらの雨中の強行軍。移動中も急きょ決まった宿泊先の変更などのマネージャー業務に追われた。福岡までは高速道路が利用できたが、九州内は通行止めになっていた箇所が多く、一晩中走り続けても鹿児島のホテルに着いたのは翌朝の7時だった。

そこでホテル用の荷物を降ろした後、休む間もなく練習グラウンドに移動して手続きと準備を進め、午後の練習が終わった後も片付けやスパイク等の手入れ、洗濯などなど……普段なら2人でやれることを1人でやらなければならず、ようやく寝られたのは夜中の2時だった。金曜日も練習の準備と片付け、荷物の積み込み、熊本への移動があり、前日練習で試合用のスパイクを使った選手もいたので、その乾燥作業などもあって、気づくとこの日も就寝は夜中になっていた。

そして試合当日は、足りないものの買い出しを行ない、試合用の荷物を整えて一足早くスタジアムに入り、準備と片付け。試合後は、火曜日の練習に備えて宿泊することなく静岡にとんぼ帰り。通行止めはなかったが、静岡に帰り着いたのは月曜の昼頃になった。

午後に自宅に帰ってからは泥のように眠ったという青山だが、口にしたのは苦労話ではなく感謝の言葉だった。
「移動や宿泊の手配では運営担当の宮原(愛)さんや強化の大迫(希)さんがすごく動いてくださって、クラブもチームが勝つことを最優先にかなり無理を通してくれて。同い年の(中川)創とか選手も僕のことを気遣ってくれて、差し入れをくれたり、スタッフ陣も『大丈夫か、寝れてるか?』とか『ちゃんと飯食えよ』とかずっと言ってくれました。あとドライバーのイシカワさんですね。初めて来てもらったんですけど本人もサッカーをやっている方で、本当なら仕事は運転だけなんですけど、僕の様子を見てボランティアで積み下ろしも手伝ってくださって、運転も頑張ってくれて。本当にいろんな人に助けてもらいましたし、頑張らなきゃという気持ちが出ましたね」(青山)

「全部が報われた気がしました」

試合前の3日間で毎日移動があった中、トレーナーの秋山良範や江本賢吾も選手たちのコンディション維持を大いに支えた。
「座りっぱなしの時間が多かったので、血流が悪くなりますし、腰回りや背中周りが張ってきたり、むくみが出たりしやすいんですよね。でも時間があまりなかったので、ケアを必要とする選手にしっかり対応できるように、選手とのコミュニケーションはいつも以上に意識しました。食事のときに話しかけたり顔色を見たり、何かあったらすぐ言うように伝えていました。あと試合前日にはしっかり全員のケアができたので、良かったかなと思います」と江本は言う。

金曜日の練習では遠隔地ながらアイスバスも用意するなど、慌ただしい中でもやれるケアは最大限に準備し、条件の不利を少しでも軽減することに全力を尽くした。だからこそ、勝った後の感動は一際大きかったと言う。
「めちゃめちゃ嬉しかったっですね。なんか全部が報われた気がしました。本当に選手に感謝したいです。それとフロントの人たち、ホテルや練習会場の皆さんのおかげという部分も大きいので、いつも以上に感謝の気持ちが強くなった遠征でした。4泊5日は前代未聞かもしれないですけど、うちの歴史になったと思います」(江本)

その想いは青山も同様だが、藤枝のサッカーと同様に切り換えも早かった。
「勝てて本当に良かったなってしみじみ思いました。ただ、すぐに次の栃木戦に向けての準備も始まるので、一瞬安堵しましたけど切り替えて(帰路の)出発の準備に入りました」(青山)

そんな裏方たちの尽力や気遣いが胸に響いたからこそ、選手たちの足も最後まで動き続けたことだろう。もちろん次の栃木戦でも、感謝の気持ちをホームで存分に表現してくれることを楽しみにしたい。

Reported by 前島芳雄