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【取材ノート:神戸】ホームでJ1初優勝を迎えた11.25。山口の涙で“みんな”がつながった

2023年11月30日(木)
「2023.11.25」。この羅列された8つの数字は、ヴィッセル神戸に関わるすべての人にとって特別なものになった。プロクラブチームとして歩み始めた1995.1.17や天皇杯を制してクラブ初タイトルを勝ち取った2020.1.1など忘れられない数字はいくつもあるが、今回の8つはそれらすべてを集約させたような数字である。J1リーグ初優勝はそれほどの「偉業」だ。


少し個人的な話をする。私は2011.1.1から当サイト「Js LINK」の前身にあたる「J's GOAL」の神戸担当になった。しかし、約3ヵ月後の2011.3.11には東日本大震災が発生してJリーグが中断される。ヴィッセル神戸が被災クラブとして何ができるかを模索し行動に移していく中で、私は自分の無力さに呆然としていた。スポーツやエンターテイメントの意味が問われる中で、私は何を書くべきか、そもそも書く必要があるのかといった自問自答を繰り返していた。その時、ある選手の言葉が私の胸を打った。

「微力かもしれないけれど無力ではないと思う。自分たちのできることをやるだけです」

2011年からヴィッセル神戸のキャプテンに就任した吉田孝行の言葉だった。似たような言葉はバスケットや陸上競技などの選手からも聞いていたが、最も心に響いたのは吉田の言葉だった。彼自身が滝川第二高校3年時に阪神・淡路大震災を経験したという背景があったからかもしれない。単純に、吉田孝行というストライカーが好きになっていたからかもしれない。

微力でも無力ではない。その言葉を信じて私は取材を続けた。

2015.2.1に「J's GOAL」がJリーグ公式サイトに統合され、新サイトの運営会社が変更されるのに伴って私もヴィッセル神戸から離れることを余儀なくされるはずだった。だが、その際に当時のチーム広報さんが私をつなぎ止めてくれた。おかげで微力ながら今まで取材を続けることができている。あの時、声をかけてもらっていなければ、「2023.11.25」の歓喜を味わうことはなかっただろう。ピッチで選手がシャーレを掲げている姿を見て、いろんな思いが不規則に込み上げてくることもなかったに違いない。感謝しかない。

J1初優勝を決めた後、優勝インタビューで山口蛍は言葉を詰まらせていた。目を真っ赤にして。大型モニターに映し出される姿を見ながら、山口にはどんな思いやエピソードが込み上げてきているのだろうかと思った。膝の故障でここ2試合を欠場し、なんとかリーグ優勝を決めたピッチに戻れたことだろうか。少し振り返り、アンドレス イニエスタとの別れや齊藤未月の大怪我だろうか。特定の日ではなく、日々のハードワークか。おそらく、どれも間違いではないだろう。だが、核心的な部分は私の想像をはるかに超えたところにあった。場所を神戸市内のホテルに移して行われたJ1優勝会見の後、メディア囲み取材に応じた山口蛍はこんな話をしている。セレッソ大阪から移籍した経緯と、ヴィッセル神戸での5年間の葛藤についてだ。

「(セレッソは)中学生の頃から育ててもらったクラブで、そこでトップにも上がって試合にも使ってもらって、日本代表にもなって…。そのチームから移籍するのって本当に、自分の中でも想像はしていなかったですし、ずっとそこにいるものだと思っていたので…。ただ、選手として、ある意味で壁にぶつかるようなところもあったと思うので、その中で決断した移籍だったわけで。もちろんセレッソのサポーターのみなさんには理解してもらえないことは多いと思いますし、本当はこういうことだよって伝えたいんだけど、伝えられないことってたくさんあるじゃないですか。それを理解してほしいんだけど、それは難しいことだとわかっているので…。ただ、そのモヤモヤはずっと消えていなくて。(セレッソのホームに)いつ行ってもブーイングされますし、なんかもう4年とか5年経ったからいいんじゃないかと思っても、すごくブーイングされる中で、やっぱりオレって裏切りもんみたいなレッテルを貼られているのかなっていうのは5年間ずっとあって…。これはどうやったら消えるのかわからないんですけど、でも自分で選んだ道ではあるので、それを背負って今後もやっていくしかないとは思うんですけど…。でも、やっぱりこの5年間で天皇杯に優勝して、今日Jリーグも優勝して、結果的には移籍がプラスに働いたと思いますし、一個人のプレーヤーとしてみても、僕自身のプレーの幅だったりとかいうものも伸ばすことができたと思うので、神戸に毎年のようにすごい選手が入ってくるっていう中でっていうのもあると思うんですけど、でもこの道が正解だって言ってしまうと、また向こう(セレッソサポーター)から言われたりするので、ほんと辛い立場ではあるんですけど、そこは一生モヤモヤしたものを解決できないのかなと思います」

「伝えたいんだけど、伝えられないこと」を活字にすると、さらに伝わらない可能性もあるが、あえて山口の言葉を使わせてもらった。選手やチームスタッフ、クラブ関係者だけではなく、スポンサー各社、メディア関係者、そしてチームを支え続けてきたファン・サポーターの1人1人がヴィッセル神戸にいろんな形で関わり、さまざまな思いをもって“この日”を迎えたことを伝えたかったからである。

J1初優勝を決めた後、ヴィッセル神戸を通して知り合った仕事仲間から「おめでとう」と声をかけてもらうことがある。私は「ありがとう」ではなく「おめでとう」と返すようにしている。立場や思いは違えど、みんなで祝福すべきこの日を迎えられたと思うからだ。

「2023.11.25」。この羅列された8つの数字には、いろんな人の、いろんな思いが詰まっている

Reported by 白井邦彦