小野雅史のモンテディオ山形への完全移籍が決定、発表された。
確度の高い先行報道が出ていたため覚悟はしていたものの、ジュニアからの生え抜き選手が自らの意思でクラブを出る選択をしたことに、やはり寂しさは拭えない。
実は、一番印象に残っているシーンはユース時代のものである。2014年の高円宮杯プレミアリーグ参入戦、2回戦のベガルタ仙台ユース戦だ。
勝てば翌年のプレミアリーグ初昇格という大一番、先制を許しながら同点に追いついて迎えた77分。ボックス内でこぼれ球を拾うと、相手DFを外し左足で冷静にゴールへ流し込んだ。値千金の逆転ゴールを決めた小野が、左拳を突き上げながら仲間が待つベンチへ一目散に駆け寄ってくる姿は、今でもはっきりと思い出される。
明治大学卒業後の2019年に大宮へ加入。2年目の2020年以降は、今シーズンまで3年連続して30試合以上に出場。完全に主力メンバーの一人として成長を遂げた。
だが、くしくも小野が出場数を増やすのと反比例するかのように、チーム成績は下降線をたどる。今年は副キャプテンを務め、開幕当初はキャプテンマークを着けてプレーすることも少なくなかった。責任感の強い、どちらかといえば真面目な性格の小野である。こうしたことが、本人も気づかぬうちに少しずつ重荷になってしまったのかもしれないかな、とも思った。
左サイドバックでの起用はどうだったのか。守備には多少目をつぶり、小野の特性をそのまま生かし起点として機能させるというもの。当時の霜田正浩監督は「左サイドバックではなく、『雅史』というポジション」と辛抱強く起用をし続け、現任の相馬監督もそのままそこに置いたが、そもそもは専任の左サイドバックがいないというチーム事情から。1年間慣れないポジションで奮闘したことでプレーの幅、戦術的視野は広がり、守備にも強さが出てきたのは間違いないが、その武器を持ってもう一度中盤で勝負したい、と思っても不思議ではない。このオフ、大宮フロントとどのような話し合いがあり、山形からどのようなオファーがあったのかは知る由もないが、それによっては決断に大きな傾きが出たかもしれない、とは思った。
残念なのは、同カテゴリーのクラブに主力選手を引き抜かれてしまったこと。関わる者すべてが、現在の大宮の立ち位置はそこなのだと理解し、来年の再スタートを切る必要がある。そう感じさせられた移籍だった。
とにかく、もう決定してしまったこと。すっぱりと切り替え、小野には山形での健闘を…大宮戦だけは除いて、期待したい。雅史、がんばれよ!
Reported by 土地将靖