埼玉県の旧大宮地区では、暮れも押し迫ってくると、どこからともなく「十五」を背負ったものが現れ、皆を救ってくれるという言い伝えがある…
冗談はさておき。
ここ数試合の大山啓輔を見ていて、かつてのミスターアルディージャ、斉藤雅人氏を思い出した。
現在は大宮アルディージャVENTUSでヘッドコーチを務める斉藤氏は、1998年から2009年まで大宮アルディージャに在籍。その類稀なサッカーセンスであらゆるポジションをこなすユーティリティーぶりを発揮した。秀逸だったのは4-1-4-1システムでのアンカーポジション。巧みにバランスを取りスペースを埋めながら、同時に攻撃の起点として活躍した。
特に大宮のJ1昇格以降、シーズン初頭は移籍補強による新戦力に押し出され、ベンチスタートやメンバー外も少なくなかった。だが、シーズン終盤に入ると気が付けば必ずピッチに立ち、要所を締めてチームに貢献してくれる、そんな存在だった。
その斉藤氏が、大宮一筋で現役を退き、次にふさわしいものが出てくるまで、とクラブ了承の上で温めていたのが背番号15。それを受け継いだのが大山だ。
今年の大山も、その背景こそ異なるが、途中出場から先発メンバーとなり、また戦列を離れ…と、コンディション面も影響し、その起用は安定してはいなかった。
そして迎えた明治安田J2第35節、アウェイでのヴァンフォーレ甲府戦。5試合ぶりにメンバー入りした大山は、2点リードの後半28分に投入される。だが、そのポジションは慣れ親しんだボランチではなく左サイドハーフだった。
「左で自分が出る時は、攻撃より、どちらかというと守備を求められている」
試合終盤になって運動量の落ちてきた先発選手に代わり、チームを再活性化させるのだ。
「僕が出るような時間帯は一番きついところ。ボランチの横だったり、サイドバックのカバーリングだったり、その人たちの分まで走るのは、途中から出た選手の最低限の役割じゃないかなと思っています」
この甲府戦では、後半40分に自身のFKから袴田裕太郎のダメ押しゴールを生み出し、攻守にわたり貢献。以降、試合終盤の左サイドは大山が締めるポジションとなった。
新型コロナにより順延されていた第33節モンテディオ山形戦では、1点ビハインドの中で投入されると、試合終了間際の89分、起死回生となる小島幹敏の同点ゴールを巧みにアシストした。続く第40節レノファ山口FC戦では、出場停止の栗本広輝に代わり、主戦場であるボランチで久々の先発出場。サイド、中央と与えられたポジションを粛々とこなす背中に、かつてのミスターの姿がだぶって見えたような気がした。
斉藤氏が「ジュニア(現U12)の1期生でずっと大宮の血が流れている。クラブ愛のようなものを出してくれる、伝えていってくれると思った」と15番を託した大山が、山口戦でピッチを去る際、自身が着けていたキャプテンマークを小島の右腕に巻いた。
「ここ数試合を見ていても、あいつがすごくチームを動かしている。僕の想いというか、お前が巻いたほうがいいんじゃない?というのは伝えました」
想いは、また次へとつながっていく――。
Reported by 土地将靖